東経大ワンゲル監督のブログ

東京経済大学ワンダーフォーゲル部、木俣監督のブログです。

平成29年7月7日 和歌山高野山女人道記

「仏ってる。」摩訶不思議な登山であった。結果は7時間歩き続けのハードな山歩きとなった。勝手に自分の中で高野山を神格化(本当は仏格化?)して崇めていた。それは女人禁制の厳しい修行を行なった地。心して入山した。山岳列車よろしく南海電車は必死に登る。観光客は「極楽橋駅」を降りると、ケーブルカーに乗って「高野山駅」からバスで高野山に入る。が、私は極楽橋駅で下界を捨て、極楽浄土に向かって歩き出した。そして女人堂に到着。高野山というのは周囲を1000メートル級の山に囲まれた800メートルの盆地に位置し、高野山に入る7つの入口に女人堂があり、女子の参拝はここまでだったらしい。ただ、現存するのがここ極楽橋から入るものだけとなっている。「高野山七口女人道」は一見しっかりとした登山道だが、山に入ったり、村に出たりの繰り返しで道が…?分かれ道が発生するとどちらがメインの道か見極めるのが難しい。思い込みからやってしまった。全然違う方向に1時間もロスしてしまい、体力も消耗。字は違えども「転軸山」で迷う所は仏の罰か。その後は「楊柳山」「魔尼山」と順調に進むも展望が全くない。どこまでも森の山なのである。眼下に広がる高野山を期待したが外れた。平日のせいかすれ違う登山客も2組しかいなかった。このまま女人道を1周してしまうと「金剛峯寺」も「壇上伽藍」も見ずに帰ることになってしまう。考えた末、高野山南側の女人道はカットし、高野山のメインストリートを歩くことにした。「中の橋」に降りてくると、やはり寺町。参道はお寺だらけである。高野山真言宗の総本山の金剛峯寺も華美を排した建物は好ましい。たまに往来する僧侶を見ると俗世を絶った者が住まう地と想像する。高野山の入口に当たる「大門」をくぐると、また女人道に戻る。私にとって山道とどっちが俗世か言い難いが、一応高野山を離れた。最後の山「弁天岳」もあっけなく陥とすと、女人堂に戻り1周してきた。15時いい時間だ。さあて後は下山と安心して歩いていたところ、またも道迷い??地図にない遊歩道に行ってしまった。途中の道標だけが頼りであるが、またも「転軸山」を目指す方角。冷静に冷静に来た道を戻り、分かるところまで帰る。何か「天竺」に迷いこんでしまった不思議な気持ちだ。16時に極楽橋を渡ると本当に俗世に帰ってきた。本数の少ない南海電車が、私を見かけて出発時間を過ぎても待っていてくれた。俗世も捨てたもんじゃないなあ。