読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東経大ワンゲル監督のブログ

東京経済大学ワンダーフォーゲル部、木俣監督のブログです。

平成29年2月26日 東京マラソンデビュー

f:id:tkuwv:20170226095225j:plain

f:id:tkuwv:20170322200157j:plain

f:id:tkuwv:20170322200217j:plain

f:id:tkuwv:20170322200232j:plain

辛かった。今でも信じられないゴールでした。東京マラソン顛末記にお付き合いください。過去10回のエントリーに敗れ去り、奇跡の当選が10月に決まった。なんと10倍を超す競争率の中、勝ち得た奇跡である。当然ここから猛練習が続くわけだが、年が明けてやっと実感が湧く感じだった。本番前には20〜30キロの距離感を身体に記憶させることが必要となる。速く走ることはないのだ。強く走ることが大事だ。そして不幸やインフルエンザでレース1ヶ月前に2週間ものブランクが生じた。まずいという焦りと不安のもと1週間前についつい走り込みし過ぎた結果がふくらはぎの肉離れ。そこからレース前日までは一走もできない。恐る恐る前日にジョグをすると痛い。これはあかんというのが率直な気持ちであった。
2月26日当日朝に都庁スタート地点に着いたが、諦めの境地もあり、途中どうやってリタイヤしようか、バスで収容されるのもいや、そのまま電車で帰ろうか。結局手荷物を大会本部に預けなかったのもそういう気持ちの表れだったのだろう。小池都知事他の長いセレモニーの後、号砲一発スタートした。青梅街道大ゲートをくぐり新宿の街を過ぎ、防衛省前から市ヶ谷に向かう緩い下り坂で右ふくらはぎに電気が走った。思わず顔を歪めイタタ。飯田橋までも走れないのか。大学の前に居るだろう応援団に何と申し開きすればよいのだろう。頭をよぎったが、騙し騙し走るうちに我慢できる痛みに変わった。理科大前ではつくり笑顔もできたかな、可愛い部下の声援に元気をもらった。神保町、神田と商店街を抜け、いよいよ名所浅草だ。多くのランナーもスマホを掲げてのランだ。雷門を正面に見て右折するとドカンとスカイツリーアサヒビールオブジェが聳え立つ。次は両国の国技館江戸東京博物館を通り過ぎた。清澄、門前仲町と下町を走りやっと半分の折り返しを過ぎた。もともとの痛みは負傷によるが、これからの距離は筋肉疲労による痛みが出てくる筈だ。脚が重くなってきたところで目を上に転じれば銀座の街並みだ。有名ショップ、老舗デパートと銀ブラではないが気が紛れた。数寄屋橋交差点を過ぎ日比谷で30キロ経過。ここに高校同級生が待っているはずだ。しかし、あちらから走り去るランナーを見つけるのは至難の技ではないか。でも交差点曲がってすぐにいたいた。何とかたどり着いたよというメッセージを送って、すぐリスタート。(感謝の言葉も言えなかった。疲れていたんだろうな)あとは品川まで行って折り返して東京駅と道は単純だが、そう甘くはない。スタミナも切れ気味で給水だけでは足りず、給食場ではバナナ、アンパンに手を出した。あっという間に吸収されている感じだ。ボランティアが差し出すチョコやゼリーもありがたい。飲食だけではないのだ。いわゆるエアーサロンパスの類のコールドスプレーの差し出しに多くのランナーがお世話になっている。三田あたりが35キロ。マラソンの正念場に当たる。沿道のプラカードに「これからが楽しい時だ」「10倍の競争率を勝ち抜いたエリートランナー頑張れ」に励まされ、子ども達とのハイタッチに元気をもらう。脚は上には挙がらないが、前に引きずるように歩を進めていく。日比谷公園交差点でまたまた同級生の声が聞こえた。大きく手を振って右折して残り2キロだ。ペニンシュラホテル、帝国劇場と丸の内の石畳の道は狭まり、グッと観衆が近い。ヨボヨボのランナー達はひときわ大きな声援を受け最後の踏ん張りどころだが、レンガのような石畳の路面はダメージが大きい。最後の試練となった。行幸通りはゴールまでの最後の直線だ。右を振り向けばシンボリックな東京駅、そして左に足を向け皇居に向かってゴールイン。長い長い4時間半の道のりだったが、我が東京を心も体も満喫できた。心はゴールをすればあの辛さをケロッと忘れ、次はリベンジだと新たな目標に向かうが、体は正直にも痛みという勲章を今現在も残してくれています。大いなるチャレンジ。皆さんもエントリーしてみては?当たってから悩めばいいんだから。