東経大ワンゲル監督のブログ

東京経済大学ワンダーフォーゲル部、木俣監督のブログです。

平成28年4月17日 かすみがうらマラソン記

2年ぶりのマラソンレース。50代初めての狼煙は茨城県霞ヶ浦でした。1ヶ月前にはふくらはぎの肉離れが起きるは、数日前には息子の運動会のリレー戦(選抜されるかのセレクション)練習に付き合い太腿の裏を傷めるという満身創痍状態であった。これは自分の弱い心に揺さぶりをかけているようであった。体調が優れないのだから棄権してもいいじゃないか。という悪魔のささやきのようだった。日曜日当日は悪天の兆しという予報ではあったが、気温の低下もなく多少の濡れは心地よいだろうくらいの認識であった。あわよくば1キロ6分ペースで最後にペースを上げて42.195キロを4時間切ることを夢見た。6,12,18分とキロ6分を30キロまでは刻んだ。が、悪天の予報は思った以上にひどく暴風雨となった。周りはレンコン畑が続く場所柄、風が吹きっ晒しの地形で強風が前後左右から向きを変えながらアタックしてくる。もう脚が動かない、2キロごとの給水所が足を止めて休む口実となった。本当に動きたくない。ずぶ濡れの姿、ヨレヨレの脚にいつしか涙が出てきた。身体中ずぶ濡れなのだから泣いてもわからない。感情をあらわに出した。そして5キロ毎の標語に「最後は心で走れ」とあった。この大雨の中、沿道のサポーターも給水、給食、声援と限りない応援に救われた。走らせてもらっている。と、気持ちにスイッチが入った。あと10キロを前に第1段階の気合を入れた。体力の限界であることは間違いないのでこの気合スイッチも5キロ持たない。第2段階の気合スイッチをどう入れるか。残り5キロになると街中には入り、沿道の人々も増え直接気合(念)をもらう。そうハイタッチをする度にエンプティーのタンクに少しづつ注油されるイメージだ。フィニッシュゴールには笑顔は無かったが、心は晴れやかだった。そして、ゴールタイムは気にすることなかった。チャレンジは成功だ。何度走っても楽勝はない。一言で言えば苦行の何物でもなかった。ただ止められない何かがあった。